なんだか今日はどうしても起き上がれない。今日はこのままどこにも行きたくない。
朝起きたときにそういう気持ちでいっぱいになることがあります。わたしも、小学生のとき、そういう気持ちになることがよくありました。そうなったときは「なんだか、ベロが上にあがるんだよ」という謎の訴えを母親にし、学校を休ませてもらっていました。それがわたしの「サイン」でした。
幸い母も家で仕事をしている人でしたので、お昼にミッフィーのかたちをしたホットケーキを焼いてもらい、食べているうちに「休みたかった理由」がぽろっと口から出てきました。「○○ちゃんにちょっと嫌な気持ちになることを言われてね…」ひとしきり母に話をきいてもらったあとは、絵を描いたりビデオをみたりして、いつもと違う特別な1日をすごしているうちに、すこしずつ元気になっていました。
寝る前には「あしたはどうする?」と聞く母に、自分から「学校行く」と答えられるようになっていました。(「あしたは学校行ける?」とは決して聞かなかった母に感謝です)
小学生の頃この流れを頻繁に繰り返していました。おそらくひとそれぞれの「サイン」があると思います。
「心の中に、誰もが気持ちのコップをもっていて、それが満タンになるとつらくなるのよ。誰かに話すとその分だけ水が減って少し楽になるよ。でも、からぽになったわけじゃないから、またいっぱいになるんだよ」と母が話していたのを思い出します。それを繰り返しているうちに、コップの方がだんだん大きくなっていくのだと思っています。大きくなっても、コップそのものはなくならないし、相変わらず満タンになってしまうんですけどね。
心の奥で膨れ上がった本当の気持ちに、自分でもなかなか気づいてあげられないとき、「なんだか休みたいな」はそんな自分自身を守るためにあるのだと思います。
五味さんがおっしゃるように「きちんと自分で動いているひとはときどき休むのがあたりまえです」。
(編集部 佐古)
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