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なぜ友だちと競争しなくてはいけないんだろうー競争の意味、あるいは価値について

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 幼い頃から鈍臭く、スポーツ全般がきわめて苦手でした。

 体育の授業は毎回拷問で、特に嫌だったのが競争です。

 人より速く走ること、人より多く回ること・飛ぶこと、チーム制で敵と戦うこと、全てに意味を見出せず、どうしてこんなことをしなくちゃいけないのかと悶々としていた子ども時代でした。

 

 さて、私にはいま5歳の娘がおりますが、この子がまた母親譲りの鈍臭さ! ギクシャク走ったり飛んだりしている姿は幼少時代の私の生き写しのようです。

 そんな彼女がある朝、「今日保育園で縄跳びの記録会がある」と暗い顔をして起きてきました。なんでも、体操の時間に縄跳びの回数を競う会をするとのこと。さっそく練習させてみたら、見事に飛べない。それまで一度も縄跳びの練習をしたいと言ったことがない娘でしたが、どうやら「記録会」というのがプレッシャーになったようです。

 メソメソ泣く娘に私は「暴漢に襲われた時に縄跳びをしながら逃げる人間などいない、故に縄跳びは人間にとって不可欠な技術ではないし、縄跳びができることに意味はない」と言い放ちました(我ながら飛躍しすぎの論理で驚きます)。

 

 五味さんはこんなことを書かれています。「ただ競争がつまらないのは、自分にとって必要もない競争を周囲から強いられるからであって、なんの目的のため競争をしているのか、ちっともわからないというような場合です。勝っても負けてもなんの意味も価値も、それこそ進歩もないという競争です。競争に勝つことだけに意味があり、負ければただがっかりするというような競争、競争のための競争です。」

 

 これを読んだとき、そういうことだったのか! と膝を打ちました。

 私は「競争」そのものが嫌なわけでない、自分にとって価値が見出せない競争を強いられること、が嫌だったのです。だからメソメソ泣いている娘に私がかけるべき言葉は、「縄跳びができなくてもいい、本当に勝ちたい競争の時に頑張ればいいんだ」だったのです(時すでに遅し)。

 

 来るべき未来、娘が本当に価値があると思える競争に出会えたときに、全力で応援してやりたいと思うようになった今日このごろです。

 ……相変わらず娘は一回も縄跳びできてませんが。

 

(編集部 佐々木)

 

 

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『じょうぶな頭とかしこい体になるために』

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