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ジミー・リャオ(幾米)インタビュー          『おなじ月をみて』──世界と向き合う勇気❷

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20年前に白血病を発病し、ジミーは絵本の創作に没頭しはじめます。筆をとって描くことで、迫りくる死に抵抗しようとしたのです。この20年で、ジミーの作品は世界各国の言語に翻訳され、映画化され、ミュージカルになり、ジミー公園も建てられました。ジミーは、多くの人の命に、ひっそりと寄り添ってきました。

 

 

7年前のインタビューの際、ジミーは娘さんのことを話してくれました。作家生活20周年で『おなじ月をみて』が出版され、再び彼を訪れました。今回は母親の最期について語ってくれました。母親の死は、彼にとって大きな打撃で、「いちばん困ったのは私にご飯を作ってくれる人が誰もいなくなったことですね」と彼は冗談めかして言います。彼のこういったジョークは、悲しみを希釈するための方法なのでしょうか。

 

 

 

──あなたの絵本の中で描かれる教師や両親は、なんとなく怖い印象ですね?

 

ジミー:私の青春時代には、ひどい教師がたくさんいました。大人の世界はなんて邪悪なんだろうと感じたのは、中学のときです。教師は私たちに、補習授業を強要して、そこで次の試験問題をバラすんです。だから、補習にいく生徒は、みんな成績がよかった。この教師はその後、名門校の校長になりました。子どもからすると、教育って何てキモいんだって思うでしょうね。

当時、私は毎日ぶたれていました。英語教師が近づいてくる足音を聞くと、身震いしました。校長は私たちを立たせ、クズだと罵って、「尊師重道(師を尊び、道を重んずる)」を説きました。当時、私は心の中で「くそったれ」と思っていました。このような経験がある人は、少なくないでしょう。多くの子どもは大人を信用せず逃げ出して、自分の星空を見つけにいくのです。大自然の力によって、未来の美しい人生に向かって歩きはじめるのです。

 

──創作活動を始められて20年、ちょうど娘さんがこの世に産まれ落ちてから成人した時期と重なりますが、娘さんの世代をどのように見ますか?

 

ジミー:娘は帝王切開で産まれたので、産まれ落ちたというより、つかみ出されたって感じですがね(笑)。彼女たちの世代は、いろんなことを同時進行できますね。音楽を聴きながら数学の問題を解いたり、オンラインゲームをしながらLINEしたり。

 

──この世代に何か伝えたいことはありますか?

 

ジミー:とくにないですね。むしろ、彼らが私たちに何を伝えたいと思っているかを理解すべきではないでしょうか。『星空』は彼らに捧げる本です。若者とコミュニケーションをとるのは難しいですが、若者も私たちとのコミュニケーションを難しいと思っているでしょう。彼らもけっこう辛いのです。私たちは若者の自殺のニュースを見ると、「え……、何でまた」となります。私たちは軽くこう言いますが、若者たちにとっては深い苦しみでしょう。

私は『星空』の序文で「顔をあげて、星空を見上げれば、世界はもっと大きく、大きくなる……」と書きました。彼らが小さな出来事に苦しめられないように。

 

──7年前のインタビューでは、娘さんはアニメが好きで(「あと声優も」と、ジミーが補足してくれました)、彼女はこの方面に進むのではとおっしゃっていましたね。当時、彼女は中学生で、休学したいともめていたと聞きましたが、今はどうですか?

 

ジミー:娘はその後、北一女(台北市にある名門女子高)に受かって、私たちを驚かせました。しばらくしてそこを辞めたいと言いだし、またまた驚かせた後、英国へ留学していきました。彼女は今、インペリアル・カレッジ・ロンドンで、物理を学んでいます。私の友人は、私たち家族のことを、「マイナスとマイナスを掛けるとプラスだね」と言うんです。私も妻も理系はまったくダメですから。娘はまだ漫画が好きで、『マイリトルポニー』が大好きです。

 

──この20年間、アトリエには毎日バスで通っているのですか?

 

ジミー:地下鉄とバスですね。車中でオンラインゲームをするので、ゆっくり移動したいんです。

 

──アトリエは神聖な場所で、人が足を踏み入れてはいけないのでしょうか?

 

ジミー:そんなことありませんよ。中はすごく散らかっています。アトリエには、母と、母の世話をしてくれていたフィリピン人のホームヘルパーが住んでいて、私のアトリエは、彼女たちの部屋に囲まれていました。でも、今、アトリエではひとりです。母が今年の頭に亡くなり、去年は暗い作品を多く描きました。

母は2年間病臥して亡くなりました。私はこの2年間、ろうそくのように命が燃え尽きていく老人のそばにいました。母の死による打撃は、本当に大きかった。いちばん困ったのは、誰も私にご飯をつくってくれなくなったことですね。

この2年間、私は母を連れて救急に走ったり、病院からの電話でしょっちゅう駆けつけていました。怖かったです。その期間に、私は『近くて遠い(仮)(原題:忽遠忽近)』の結末の絵を描きました。あと『幸せのきっぷ』(現代企画室)と『あなたは私の世界(仮)』(原題:我的世界都是你)もです。すべて死に関連する作品です。私に深く影響したのは、やはり「死」でしょう。身近に死がありましたから。以前は死の影は自分自身のものでしたが、今は父や母のものです。

『おなじ月をみて』は、人の世は絶え間なく浮き沈みし変化するけれど、月は変わらず輝いているというイメージの作品です。

 

 

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ジミー・リャオ(幾米)

職業:絵本作家

星座血液型:さそり座、O型

年齢:20年前は40歳

好きな画家:マチスピカソ

最近考えている問題:昼食は何を食べよう

最近観た映画:ブレードランナー 2049

普段利用している公共交通機関:地下鉄とバス

 

台湾の「親子天下のウェブサイトで、2017年10月27日にアップされたインタビューです。「親子天下」には転載許可を得ています。

取材:許芳菊

撮影:曾千倚

日本語翻訳:恩地万里

 

(若月眞知子)