桜が舞って、うちのマンションの前にある学校でも、
先日、かわいいちびすけさんたちの、
入園式、入学式がおこなわれていました。
進級、進学、社会人1年生、
諸々みなさま、おめでとうございます。
いつ読んでのよいのですが、春に読むと、とくべつすてきな、
『マルマくんかえるになる』のはなしを書きます。
この絵本は、個人的に人にプレゼントした際に、
いちばん深い反応がある絵本。
とくに、育児中のおかあさん、おとうさんには、
人生で大切なことを、しみこむようにやさしく教えてくれる1冊です。
この絵本が生まれたきっかけは、
ボローニャ国際絵本原画展に入賞した広瀬ひかりさんの銅版画を、
板橋美術館で見たことでした。
作品のあまりのすばらしさに、即座に手帳に名前をメモ。
帰りに図録を買い求め、
記載されている広瀬さんの連絡先にコンタクトし、
ポートフォリオを送っていただきました。
そして、ビジョンも危ういまま会議で勝手に企画を通し、
広瀬さんに、電話でいきなり
「絵本の企画が通りました!!」と事後報告。
新人編集者なので、物事の順番が、まあよくわかっていませんでしたね。
でも、課外授業を受けるちびがえるの銅版画がなんとも愛らしく、
からだも小さく成長もおそい、おちこぼれのおちびが、
あたたかい大人たちに特別に甘やかされながら、
ゆっくり成長するおはなしを、美しい銅版画で。
という、イメージはありました。
かわいい・・・(ため息)
こっちもかわいい・・・(うっとり)
私自身が、2月末の早生まれでひとりっこ。
準備も遅いし、食べるのもおそい。
理解もおそければ、声もちいさく、からだもちいさめ・・・
という子どもだったので、自分のような危うげな子たちに、
エールを送るような絵本をつくりたいなと、思っていたのでした。
実際のところ、早生まれの落ちこぼれはとくで、
みるからに頼りないから、クラスでも先生に人一倍目をかけてもらえるし、
公文も居残り常連で、教室が終わったあとに先生の車でおうちに連れていってもらって、
ごはんをご馳走になったり、エレクトーンも(まったく練習してこないので)全然できず、
それでも「このこは、ちょっと残念枠だから、しょうがないね」という感じで諸々免除され、
先生に伴奏してもらって、(エレクトーンは一切弾かず)好き勝手に歌をうたったり、
先生の家の本棚からもらう本を(レッスン時間内に)たっぷり時間をかけて選んだり(『ライオンと魔女』をもらった)、
まあ、いろいろと、おまけ時間の多い、早生まれ人生でした。
そんなことを、まとまらないまま稚拙にお話しして、
片山令子さんに文章をお願いしました。
しばらくして連絡があり、お目にかかって原稿をいただいた時の感動は、
未だに忘れられません。
子どもに向けてことばを紡ぐということは、こういうことか。
一文字一文字にまで温かみの宿る、令子さんのすばらしい原稿に、
笑顔になるのを止められず、うれしくてぼうっとなりました。
本当に完璧な原稿というのは、ぴったりはまったパズルのよう。
中途半端な赤字を1文字でも入れようとすると、すべてが狂ってしまいます。
『マルマくんかえるになる』は、一字一句いただいた原稿のまま。
長く本の編集をしていますが、原稿に赤字が一切入らない本というのは、
ほぼ皆無じゃないでしょうか。でも、マルマくんの時はそうでした。
この原稿は、いただいた時の感動ごと、私の一生のたからものです。
「がませんせいはね、今年も、マルマくんみたいな
おちこぼれの子たちを見つけられて、うれしくて仕方がないのね」と、
話してくれる令子さんの頭のなかには、
完全にマルマくんたちが生きている世界ができあがっていて、
おはなしを書くというのは、世界をつくるということなのだと、
しみじみ思いました。
長くなってしまったので、今日はここでおしまいにします。
原稿をいただいてからの、画家の広瀬ひかりさんとの、
ながく、なが—く、粘りに粘った、制作のやりとりは、
その2につづきます。
(編集部 沖本)